BRIDE ONLINE MINISTRIES-神の愛と出会うアート

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預言について

預言は何のためにあるのか

預言とはあなたを愛して励ましたいと願っておられる神様からの、愛のメッセージです。預言をする者に映像や言葉や概念、感覚を与え、それを言語にする。預言をする者は、言い換えれば、神様のあなたへの愛の通訳者です。

管理人は牧師家庭に育ち、子供の頃は頻繁に海外から訪れる使徒的・預言的な務めをする方々から預言の祈りを沢山受け取ってきた恵まれた環境にありました。皆様その生き様が主にあって素晴らしい方たちで、その働きの成功も評判も経験されている証も沢山あり、良い神の器と呼ばれる方々の正確な預言に恵まれてきて、その内容の一つ一つは私を励まし、支え、守ってきました。

印象深いのは、私が10代の頃に時々来日して父の教会で教えてくださっていた使徒・教師・預言の働きをする方。私が20代頃になるとその方の祈りは私が10代だった頃より正確性というか詳細さが深まっていると感じた事でした。沢山の試練の中、聖霊との親密さがきっと深まった故の結果なのだと思います。

寝たきりで部屋から出れない私の部屋にまで来て祈ってくださった海外からの預言者は「完全に良くなり、しあわせになる」と主から受け取って祈って下さった。その後症状は何年も繰り返されたが、今はもう再発はしないだろうというところまで癒され、回復している。短い預言ではあったが、各国で預言者として務めをしている、私が生まれた時から愛して下さってきたこの方からのこの預言は私をあまりにも支えてきて、信じてにぎって進むことが出来ました。

又、結婚に関する預言や、将来についての啓示は、主は私の行先も出会う人々も全部ご存知で、私を心から応援して下さっている方、また私の人生に神様からの意味や目的があるのだと、自然に人生に対する希望や期待、全知全能の愛の神がどんなところを私が通っていても、共にしておられることの信頼を育んでくれてきました。

1コリント14:1には、特に預言することを熱心に求めなさい。とある。預言は教会にも、個人の人生にも、その方向性や詳細な進め方、行き方、辞めるべきこと、始めるべきこと等を啓示し、助けとなるあまりにも重要なものなのです。

自分が願う生き方以上に、天の父なる神が私たちに願っている祝福の人生を歩んで行きたいと願っている方程、預言的な歩みを大切にするでしょう。預言は私たちの人生を守り、慰め、時には背中をおし励まし、導く。神の愛の表れの一つです。


1コリント14:3 預言するものは、徳を高め、勧めをなし、慰めを与える為に、人に向かって話します。

※預言には無条件のものと、条件付きの2種類があります。条件付きの預言の内容は言わば種であって、それが実現するように取り組んで行く事が必要になります。

例えば、「〇〇の仕事をしているのが見えます」と祈り手に言われても、ただそのまま受け身では何も起きません。その仕事で輝ける為に、資格の勉強に取り組み始めたり、資料を探したり、行動していくと、神様は喜んで助けて導いて下さいます。


偽預言者について

マタイ7:15〜20【にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやってくるが、うちは貪欲な狼です。あなた方は、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくはあざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い気を実らせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなた方は、実によって彼らを見分けることができるのです。】


悪意のない、単純に預言の訓練の途上の段階にあるが故の、預言の不鮮明さ・漠然さ・不正確さとは別の話になります。

にせ預言者の特徴として、差はあるもののある程度預言が正確で、何割かの惑わしや、脅しや支配が混ざっています。預言の内容の正確性で判断するのではなく、聖書には実で見分けるよう教えています。私の経験の中でもこれがやはり決定的でした。クリスチャンと自称はしますが、預言もある程度正確だが、素行言動が教会に分裂を生み出し、教会の徳とはならず問題の種となる。個人レベルでは依存関係が出来上がっていく。

使徒20:39【わたしが出発した後、凶暴な狼があなた方の中に入り込んできて、群れを荒らしまわることを、私は知っています。あなた方自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分の方に引き込もうとする者たちが起こるでしょう。】

この箇所でも狼と描写されているが、この霊的狼は群れをかき乱し、自分を啓示を受けるものとして、人々に依存させる特徴がある。


エゼキエル12:24【もう、むなしい幻(false vision/偽りの)も、へつらい(flattering/お世辞の)の占いもことごとく〜】

聖霊によらない啓示として、偽りの啓示を受け取っているケースや、受け取り手から好意が欲しく、ご機嫌取りや、気に入ってもらいたい動機故の気分をよくさせる占いの霊が働いている啓示的発言に注意すべきです。このような人々は私個人の経験では、異言(聖霊の特別なお祈りの言語)を聞いていると清くないものを感じる共通点がある。明らかに気持ち悪さを感じる。異言はその人の霊性が顕著に現れ出ている。敏感であれば日本語で祈っていても同様に感じるでしょう。

 又、やたらと預言をしたがる特徴もあります。取り扱われていない心の傷を抱えているので、自己主張や承認欲求、支配・コントロール的、つまり聖書の警告するイゼベルの霊が強く働きます。口先の謝罪はするが、本質悔い改めない霊です。淫らも流れ、異性との悪い評判があるのもわりと共通します。

本人の意図するしないに関わらず、この者に働くイゼベルの霊の最終目的は、牧会者や教会をを霊的に殺すこと。個人レベルでは、神様との親密な関係より自分に依存させ、本来の神様からの導きから盲目にされていきます。したたかさ、反対や制限されるまでは忠実な有様。イゼベルの大きな特徴の「反抗」は初期段階では気付きづらいのです。

人々に、神との関係を深めていく助けの為に仕えるどころか、自分自身により頼ませ、自分の受け取る啓示が絶対という考えが強く、牧会者とも距離を置かせていき、派閥や分裂が顕著になっていくケースへと悪化していく。一致がなくなれば教会としての成長も前進も無いでしょう。偽預言者に対しての教会としての出禁対応の遅れは、様々な後遺症を教会に残す事になるでしょう。

預言の務めが存在する教会は、それなりの監督をしなければ、にせ預言者が野放しで羊を惑わし、扇動するでしょう。救われたばかりの魂や、純粋な心の人々は惑わされやすいので、牧会者はよく監督をする必要があります。

マタイ24には、にせ預言者はできれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをしてみせるとあるように、超自然現象のみで神器であることを判断するしてはいけません。


御霊の実の品性が証されている者であるか。ミニストリーをさせる前にまずは本人の心の傷のケアが必要か判断するのが大切だと考えます。

ガラテヤ5:22【しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。】


アメリカでの牧師達のカンファレンスで、ピーター・ワグナー氏が述べた「イゼベルが入り込んだらすぐに追い出せ」という私のメンターの方から聞いた話しは、決して過言では無いと思います。

イゼベルの霊についての分かりやすいショートメッセージを悦子先生がシリーズで説明しています。参考にどうぞ。

https://youtu.be/cSXZvU9PNUY?si=wGzen9DaSDLFVXOW

写真提供者:
Bride Online Ministries/HANNAH